函館市へ移住して足かけ6年目、早い物だ。
6年の内1年以上は新型コロナによって引きこもっているため、正味4~5年。
函館市のコロナ患者は毎日2人とか3人とか時によっては0人の日も有るが去年からの通算が650人弱程になって変異株も少しずつ増えているらしい。
特に、今年に入ってから病院などでクラスターが起き、陽性者も急増している事から、ことさら臆病で基礎疾患を抱える私は否応なく巣ごもり状態の日々を送らざるを得ない。
最近、隣に4~50歳代の夫婦が引っ越してきた。
隣と言っても函館郊外の山麓に住まいしているため50~60メートルほどは離れている。
二人暮らしで、毎朝決まった時間に出ていき、決まった時間に帰って来るところを見ると、おそらくは夫婦共働きで転勤か何かで函館に来たのかもしれない。
そろそろ1ケ月になるが挨拶もしていないし、そもそも顔も合わせていない。
我が家の窓から毎朝、車が出ていくのが見えるだけだ。
奥さんに至っては顔も見たことが無い。
どこから来たのか、子供は居ないのか、どこに努めているのか興味は尽きない。
山麓に住まいしていると言っても町内会が有り、町内会長さんから名前だけは聞いた。
思うのは我々夫婦が函館に引っ越しをしてきた時は近所の人達は同じような思いで我々を見ていたのではないかという事だ。
私は東京で定年まで勤務し嫁の故郷の函館市へ移住した。
嫁の故郷と言っても両親はすでに亡くなり知り合いも親戚もいない。
会社勤めから解放され、夢の家庭菜園をし、そこそこ暮らそうとしているだけなのだが近所や町内会の人達には関係が無い。
来た当時は一応近所の挨拶回りは行ったが、さほど人相には自信がない私たち夫婦には、何をしに、何のためにここに住むのかとの興味は、私が隣を気にするように有ったはずだ。
特に私たちの住む町内会は代々長く住まいする人が多く、いわゆるよそ者は珍しい。
それは函館に住む移住者の多くはロケーションが良好で八幡坂や旧函館区公会堂などが有る函館的な西部地区に住む人が多いからだ。
町内には会社勤めをする若者もいるが、多くは畑を作ったり庭を作ったりする高齢者たちだ。
私も高齢者ではあるけれど、もっと上の高齢者が多い。
我々夫婦は毎朝万歩計を持ちながら近隣の散歩を日課にしている。
近所の人達も散歩や畑、庭の手入れなどをする人たちと出会う。
来た当時は「おはようございます」と挨拶をしても無視された経験も有る。
まる5年も済んだ現在でも挨拶をしても上の空の風な挨拶を返す人も居る。
それはそれでという思いも有るが、中には山菜取りやキノコ採りに誘ってくれる人たちもいる。
それでも山菜取りに誘われたのは3年位住んでからだ。
タラの芽
山菜はどこで何が取れて、今年は少ないとか多いとかが決まっているそうだ。
収穫後は近所の人達に分け与えたりするが、山菜の取れる場所は決して教えない。
それは意地が悪いとかという事では無くて、それぞれのテリトリーとルールなのだ。(まぁかぶる事も有るようだが)
特にタラの芽などは貴重で少ないため、それぞれが秘密の場所が有る。
だから私が近所の人達に受け入れられたのは3年かかったことに成る。
思い返せば、私達夫婦のしたことは挨拶だけだ。
朝の散歩も小さな家庭菜園も外に居て出会った人には挨拶をする。
移住の心得的な雑誌やネットの記事があふれているが意外と移住の心得は挨拶に尽きる感じがする。
それも特別にではなく自然体で、気を遣うことなく普通であることが必要な事と思う。
函館市は津軽海峡、太平洋、噴火湾に囲まれた海産物が充実しているところだ。
山菜のタラの芽の天ぷらも美味しいが、魚のタラのてんぷらと鍋物はスルメイカと甲乙つけがたいほど美味しい。
私も徐々に函館人に成ってきたようだ。